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こどもの日は端午の節句!端午の節句で運気をあげる過ごし方、こどもの日で運気を上げるおまじない【端午の節句の意味、鯉のぼりの由来】

こどもの日は端午の節句!端午の節句で運気をあげる過ごし方、こどもの日のおまじない

端午の節句、こどもの日のですね!空に鯉のぼりが泳ぎ、菖蒲やよもぎ、柏餅が店頭に並ぶとなんだかワクワクしてきます。こどもの日の由来や運気が上がる過ごし方、おまじないを紹介します!

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端午の節句の由来

子どもの日は端午の節句です。
鯉のぼりが勇ましく空を泳ぎ、緑が濃くなりはじめる季節です。
桃の節句、雛祭りと同じく五節句の一つとなります。

五節句とは?

端午の節句と同じく、五節句にあるのは下記になります。

  • 人日(じんじつ)の節句(1月7日)七草粥を食べて1年の無病息災を願う
  • 上巳(じょうし)の節句(3月3日)雛人形を飾って女の子の成長と良縁をねがう桃の節句、お雛祭り
  • 端午の節句(5月5日)鎧兜や鯉のぼりを飾り邪気を払って男の子の武運長久を祈る
  • 七夕(しちせき)の節句(7月7日)笹に短冊を吊るして願い事をする、七夕様。(お盆とする説もあります)
  • 重陽(ちょうよう)の節句(9月9日)菊を浮かべた酒や菊の花を飾って長寿を願う

端午の節句、こどもの日は薬摘みの日

この日、昔は薬摘みの日として菖蒲を摘んだそうです。菖蒲が転じて尚武となり、端午の節句になったとか。元々は菖蒲やヨモギを軒先に吊るして、厄払いをした日なのですが、江戸時代から武士たちの中で尚武に転じて、跡継ぎの男の子を祝う日となったようです。その風習が町民にも広がっていきました。

鯉のぼりの由来と意味

さて、端午の節句、こどもの日といえば鯉のぼりですね!
5月の爽やかな初夏の青空に泳ぐ鯉のぼり…この姿を見ると幸せな気持ちになります。

鯉のぼりの由来

鯉のぼりの由来にはいくつかの説があります。どれも、男の子の出世を願ったオタ心が詰まったもの…いつの時代も子を思う親の心ほど尊いものはないものです。

中国の故事「登竜(龍)門」から

「鯉が竜門の滝を登り龍となって天へ登る」…これは「登竜門」(登龍門とも)という中国の故事です。

中国の北部を流れる黄河…その上流には竜門と呼ばれる滝がありました。竜門は轟音を立てながら激しく流れる滝で、その滝を登りきった魚は霊力が宿り龍になると言われていました。
様々な魚たちが竜門の滝を登ろう挑戦し、滝壺に沈んで行きました。
ある日、ついに竜門を登り切った魚が出て、その魚は美しい龍となって天へと駆け上って行ったのです。

この竜門を登った魚が、後に「生命力が強く繁殖力も高い鯉」とされ、鯉のぼりとなったと言われています。

江戸時代の庶民が始めた旗印が鯉のぼりとなった

鯉のぼりの起源として知られているのは、江戸時代から始まったというものです。
この当時、武家では男児が生まれると玄関の前に馬印やのぼりを立てて祝う風習がありました。これはもともと、将軍家で行われていた旗指物(家紋のついた旗)や幟(のぼり)を立てて祝う風習が武家に広まったものでした。
端午の節句に虫干しも兼ねて、幟を立て鎧や兜を飾る…そんな風習が武家には根付いていたのです。
その風習が裕福な町民にも広がって鯉のぼりが考案されました。

鯉のぼりの色と意味

江戸時代には黒一色だった鯉のぼりですが、明治あたりから緋鯉が加わり、昭和に入って染色の技術も上がって、青や緑、オレンジや黄色など様々な色が加わるようになりました。
鯉のぼりの童謡にもあるように、「黒の真鯉がお父さん、赤い緋鯉がお母さん、青や緑は子供たち」というわけです。家族が増えるたびに、いろいろなカラーを追加していくのが現代流ですね!
五色の吹流しは、子供の無病息災と健康な成長を願って「魔よけ」の意味で飾られました。また、家自体を表してもいます。てっぺんについている矢車も同じ「魔よけ」の意味をもっています。

端午の節句で運気をあげよう

古来からある行事を大切にして楽しむだけで運気はあがります。ぜひ、こどもの日を楽しみましょう。伝統的な行事に伴うしきたりには、意味が込められています。

菖蒲湯に浸かる

菖蒲は刃先が剣のように尖っており、邪気を払う賭されています。この菖蒲をお風呂に入れて、厄払いをし無病息災を願いましょう。また、菖蒲の根は香り高く、薬として重宝されていました。

またヨモギと一緒に軒先につるす地域もあります。

菖蒲の葉を枕の下に入れる

菖蒲の葉を一枚枕の下に入れて眠ると邪気をはらい、無病息災になると言われています。

柏餅を食べる

柏餅は、柏の葉に上新粉とくず粉(片栗粉)を混ぜてつくった「しんこ餅」に、あんを挟んだものを、柏の葉を二つ折りにして包んだお菓子の事です。寛永年間(1624~1644)頃にはすでに登場していました。
この柏餅、中国由来の行事が多い中で、珍しく日本発祥のものです。
柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないという特徴があるので、冬の間も枯れ葉になっても落ちず、そのまま新芽がでます。 「子供が産まれるまで親は死なない」即ち「家系が途絶えない」という縁起に結びつけ、「柏の葉」は「子孫繁栄」につながります。
柏餅を食べて、運気をあげましょう!

粽(ちまき)を食べる

柏餅が日本のオリジナルな一方、粽は中国の行事とセットで日本へ伝わってきました。
中国は戦国時代、紀元前278年ごろのことになります。
楚(そ)の国の高名な詩人、屈原(くつげん)は国王の側近としてつかえ、人々からも慕われていました。しかし陰謀のため国を追われることになった屈原は、ついに川に身を投げてしまったのです。その日は5月5日。屈原の死を悲しんだ人々は、葉で巻いた蒸し米をたくさん川に投げ入れて弔いました。
ところが漢の時代に、里の者が川のほとりで屈原の幽霊に出会います。
幽霊曰く、「皆が毎年供物を捧げてくれるのは有り難いが、私に届く前に悪い龍に盗まれてしまう。だから、今度からは龍が苦手にしている楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み、五色の糸で縛ったものを投げてほしい」 と言いました。

それ以来、楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み五色の糸で縛って川へ流すようになりました。これが粽の始まりと言われています。屈原の故事から、中国では五月五日の節句には、節物として粽を作り、親戚や知人に配るという習わしが生まれました。

そしてこの風習が日本にも伝わって、端午の節句となったのです。
端午の節句で飾られる五色の糸もここからきたのかも知れませんね。

ちちんぷいぷいのおまじない、その由来と効果

端午の節句となると思い出すおまじないが「ちちんぷいぷい」です。「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んで行け」と小さな子供が転んだ時などに唱えているのを聞いたことがあるでしょう。
この言葉は「チチンプイプイ御代(ゴヨ)の御宝(オンタカラ)」というのが古くから伝わる言い方になっています。

「智仁武勇は御代の御宝」(ちじんぶゆうはごよのおたから)

ちちんぷいぷいの語源は江戸幕府3代目の将軍である徳川家光の乳母である春日局が元となっています。
春日局は家光公がまだ竹千代と呼ばれていた幼少期に、彼が泣くと
「智仁武勇は御代の御宝」(ちじんぶゆうはごよのおたから)
と唱えました。この言葉は
「知恵とやさしさと武力と勇気を持つあなたは徳川家の宝なのよ、泣かずに大きくおなり」
という意味で、将来将軍として世を治める竹千代が力強く賢く優しく育って欲しいという彼女の願いが込められたものだったのでしょう。
この「智仁武勇(ちじんぶゆう)」が庶民に伝わり「チチンプイプイ」に変わったと言われています。

この端午の節句も、子供に健やかに育って欲しいという親の願いが詰まった祭事です。竹千代を育てた春日局も同じ気持ちだったのだろうと思うと、とても感慨深いおまじないです。

「チチンプイプイ」には「屁こき爺」という昔話が由来という説も…

また、この「チチンプイプイ」にはもう一つ由来があり、民俗学者・柳田国男が唱えた説で「屁こき爺」という昔話によるものです。
竹取を生業とする老爺が、よその地主の山に竹を取りに入ったところ、運悪く地主の殿様に見つかってしまいました。とっさに老爺は「私は日本一の屁こき名人です」と言ってしまう老爺。殿様が「ではこいてみろ」というのに「チチンプイプイ」という見事な屁をこきました。喜んだ殿様が褒美をとらせ、老爺はとがめもなく褒美で裕福になったという話です。

この話から「チチンプイプイ」は幸福招来の呪いであるとされたそうです。
どちらの由来にしろ、幸運そうなおまじないであることには間違いありません。端午の節句にお子様のために、自分の幸運のために唱えてみるといいでしょう。

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