小正月という言葉、最近はなかなか耳にしなくなりました。
元旦の1月1日から松の内(一般的には1月7日)までを大正月とか男正月と呼び、その対として小正月、女正月という言葉があります。それでは小正月についてご紹介です。
小正月の読み方は「こしょうがつ」
小正月の読み方は「こしょうがつ」と言います。
小正月とは
元日を中心とした「正月(大正月おおしょうがつ)」に対し、1月15日(厳密には14日の日没から15日の日没まで)を「小正月(こしょうがつ)」と呼びます。
大正月には親族廻りや会社の上司への挨拶など、外向けの祝い事を行いますが、小正月では家族で新年のお祝いを行うことが多いです。
この小正月で元旦から続く一連の正月行事を締めくくるという地域やご家庭も多く、特にこの小正月に行う「どんど焼き」や「左義長」などは有名な行事です。
小正月の由来
古い暦では「月」の満ち欠けを基準にしていたため「満月から次の満月まで」を一カ月としていました。特に満月はとてもめでたいものだったので、一年で初めての満月の日を「正月」としており、このことが「小正月」の起源となっています。
小正月は女正月
時代が進み、1月1日を元旦としそれが定着すると小正月は豊作を占ったり、鬼追いをしたりと、大正月とは違う特殊な行事が中心になりました。この中にどんど焼きも含まれていました。
女性はこの小正月の期間に里帰りができ、正月準備から正月までの大正月に忙しかった分休むことができたのでした。そのため「小正月」は「女正月」とも呼ばれます。
2024年小正月は1月15日、二十日正月は1月20日
小正月は2024年1月15日、二十日正月は1月20日になります。
お正月の元旦からの正月行事について表にしておきました。
行事名 | 日、または期間 | 内容 | 備考 |
---|---|---|---|
元旦 | 1月1日 | 「元日」は1月1日の“1日”を、「元旦」は1月1日の“午前中”を指す ただし元旦で1月1日の“1日”を指す場合も多い |
男正月(大正月) |
三が日 | 1月1日〜1月3日 | お正月の元旦から三日間を三が日という お屠蘇を飲み、お雑煮やおせち料理を食べて新年を祝う |
男正月(大正月) |
松の内 | 1月1日〜1月7日 | 正月事始めから神様がお帰りになるまでの期間 松の内の終わりの時期は地域によって異なる 関東や東北、九州地方などは1月7日まで 関西地方は1月15日(小正月)まで 松七日という名もある |
男正月(大正月) |
鏡開き | 1月11日 | 供えた鏡餅を下げる日 松の内が明けた1月11日に行うのが一般的 松の内を15日とする地方では、鏡開きを15日または20日に行う 京都では1月4日 |
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小正月 | 1月15日 | お正月にお迎えした年神様がお帰りになる日 年末の準備から元旦、松の内と続いてきた正月を締めくくる一連の行事 一般的な小正月の日程は、1月15日、または1月14日~16日の3日間にわたる |
女正月 |
どんど焼き | 1月15日 | 古いお神札・お守り・しめ縄・しめ飾り・破魔矢などをお祓い後に焚き上げ(焼納)して年間の無病息災をお祈りする儀式 | 女正月 |
二十日正月 | 1月20日 | お正月にお迎えした年神様がお帰りになる日 お正月の飾り物などを全て片付け終え、締めくくる日 |
女正月 |
晦日正月 | 1月30日 | 「晦日正月(みそかしょうがつ)」または「晦日節(みそかぜち)」 正月の終わりの日として祝う、地域によって行う |
お正月の行事は地域性が強く、特に松の内、小正月と二十日正月、正月飾りを片付ける日、鏡開きなどは、その地域特有の日付やイベント、やり方があります。
小正月の飾り物
小正月の飾り物についてご紹介します。
この小正月の飾り物は地域や家庭によってかなり違いがあります。
小正月の飾り物、餅花
餅花は1年間の五穀豊穣を願う小正月の縁起物でヤナギ・ヌルデ・エノキ・ミズキなどの木の枝に、紅白の餅や団子を小さく丸めてつけて作られます。紅白餅で飾られる「餅花」が花を連想させるため小正月を「花正月」とも呼びます。
由来は「養蚕農家の繭玉を似せて作った」「鏡餅を八百万に神に供えるかわりに小さな餅を枝にたくさん付けた」など諸説あります。
餅花は地方によって呼び名がたくさんあります。蚕産が盛んな場所では「繭玉」、アワやヒエの生産が盛んな場所では「粟穂稗穂(あわぼひえぼ)」、ほかにも「稲の花」や「生り餅(なりもち)」、「団子飾り」、東北なら「みずき団子」などと呼ばれます。
この餅花をどんど焼きで焼いて食べると1年間無病息災である、と言われています。
埼玉県秩父市のJAちちぶでは養蚕農家の小正月飾りを紹介しています。
秩父では江戸時代から養蚕を行っていて、現在でも特産品となっています。この秩父の小正月飾りで珍しいのは十六花(じゅうろくばな)と呼ばれるニワトコの木を削った飾りです。お蚕様の足は16本、なので十六花(じゅうろくばな)なんですね〜。
こちらの「高森町歴史民俗資料館」も小正月の飾り物を展示しています。
高森町歴史民俗資料館は長野県下伊那郡高森町の民俗資料を保存していて、長野県も養蚕が盛んで日本一の「蚕糸王国」と呼ばれるほどです。
こちらでは小正月には豊作を願うための「ツクリモノ」するそうです。
- まゆ玉(繭玉):お蚕さまの「まゆ」
- もち花(餅花):お米の稲穂
- あわぼ(粟穂):粟の穂
- おにぎ(鬼木・お新木):魔除け
などがあるそうですよ〜。
小正月の行事、どんど焼きは送り火と豊作祈願
小正月には
- 豊作祈願の「餅花」を飾って焼く
- 年神さまを天に送り返す「どんと焼き」
という意味を込めてどんど焼きを行います。どんど焼きについてはこちらの記事を読んでくださいね!
小正月の行事、鏡開き
鏡開きは1月11日というのが一般的ですが、松の内を15日とする地方では、鏡開きを15日または20日に行います。
京都では1月4日なんですよ〜!
鏡開きについてはこちらを読んでくださいね!
小正月の食べ物と行事食と小豆粥と枕草子
小正月の食べ物や行事食についてご紹介します。
小正月の食べ物や行事食、小豆粥
小正月の食べ物や行事食で一番有名なものは「小豆粥」になります。
「小豆粥」は煮た小豆を混ぜて炊いたお粥のことで、「十五日粥」とも呼ばれます。「小豆粥」も「十五日粥」も新年の季語なんですよ。
小豆粥と枕草子
枕草子の三段にこの小正月のことが書かれています。清少納言が平安貴族の小正月の一コマを描いています。
家の御達女房などのうかがふを うたれじと用意して
つねにうしろを心づかひしたるけしきもいとをかし…(後略)
これを訳すと「正月十五日に望粥(もちがゆ)の御膳を供え、粥(かゆ)の木を隠してねらっているのを女官や女房たちがたたかれまいと用心してずっとお尻を気にしている様子もとてもおもしろい…」という意味です。
子宝祈願のおまじないと小正月
粥の木というのは粥を炊くのに使った薪(たきぎ)の残りのこと、これで女性の尻を打つと子宝に恵まれるというおまじないのようなものです。
夫のいる姫君や女房は恰好の標的で、みんな叩かれたくないのでお尻を気にしているんですね!
さらに「内裏(うち)わたりなどのやんごとなきもけふはみなみだれてかしこまりなし(王宮の高貴な人たちもこの日はみんな大騒ぎしている)」と書いていて、上も下も大騒ぎな様子です。
この日の粥を望粥(もちがゆ)というのは、旧暦十五日の満月の日、望月の日に食するからです。
土佐日記と小豆粥
土佐日記でもこの15日の小正月に小豆粥を食べたことを記しています。
この日に食べるのは小豆粥だったようですね。
小正月の食べ物、七種粥(ななくさかゆ)
また、土佐日記では小豆粥となっていますが、宮中では七種粥(ななくさのかゆ)という
特別な粥が作られ、天皇に供えられていました。
使うのは米、粟(あわ)、稗(ひえ)や小豆など七種の穀類で、七日に食べる七草粥とは別物と言われています。
この小正月に食べる七種粥(ななくさかゆ)は貴重な穀物であった白米を使わないように、奉公人が里帰りした家庭でも作れるように白米ではなく、麦などの穀物でお粥を作ったと言われています。
平安時代の延長5年(西暦927年)の書物「延喜式(えんぎしき)」によると、小正月の七種粥について、下記七種の穀物が書かれています。
・米
・粟
・黍(きび)
・稗(ひえ)
・みのごめ
・胡麻
・小豆
時代が進むと白米の方が手に入れやすくなりましたので、小豆だけを入れた小豆粥となったようです。
小正月と成木責め
小正月はの行事として「成り木責め」というものがあります。
農作物の豊作を祈る行事一つで戦前までは農家が普通に行ってきた伝統行事でした。 この「成り木責め」は、小正月(15日が多い)に、果実の豊作を祈願して、複数の子供たちが主役になって行われます。一人が鉈をかまえて成り木の前に立ち「成るか成らぬか。成らねば切るぞ。」と脅し、成り木役の子が「成ります。成ります。」と答え、豊作を約束させるのです。実際に鉈で木に小さな傷をつける場合もあり、その傷に小豆粥を塗りつける場合もあります。
地域によっては、生り木責め、生木責め、なりそきりそ、木脅し、木まつり、キマジナイ、ナレナレ、成るか成らぬか、などとも呼ばます。
小正月と粥節供
正月十五日を粥節供と呼ぶ地方があるそうです。古代の日本ではお粥はお餅と同じく特別な食べ物だったのかもしれません。
古くは米を蒸したものを飯(いい)と呼び、米を煮たものを粥と呼びました。粥は水の量によって固粥(かたかゆ)と汁粥(しるかゆ)にわかれ、現在のご飯は固粥に、おかゆは汁粥に相当します。
正月十五日を粥節供では粥占(かゆうら)やおかゆ試しという占い行われていました。
粥をかきまわす棒(粥杖=かゆづえ)の先を十文字に割っておいて、その隙間にはさまる粥の量で豊作か否かを予想したり、粥の中に竹や葦(あし)の管を差し込み、中に入った粥の状態でその年の作柄を占ったりしました。
「成り木責め」もなかなか乱暴?な豊作祈願ですね。特に柿の木に行われることが多く、昔話の「猿かに合戦」もここから作られたのでしょう。
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