お葬式や法要の時によく唱えられる般若心経…日本で最も知られているお経と言っても過言ではないでしょう。
この般若心経は不用意に唱えてはいけないとか、除霊になるとか色々言われています。般若心経の意味を全文解説し、どんな効果があるのか、どんな意味があるのかなどを解説します!
般若心経の読み方ははんにゃしんぎょう
般若心経の読み方ははんにゃしんぎょうです。
般若心経という言い方自体が略された言い方で、正式な名称は「般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう」です。
般若心経とは
般若心経はお経の一つです。お経とは「お釈迦様の教えをまとめた経典」で、般若心経にも「お釈迦様の教え」が詰まっています。
般若心経はわずか262文字から構成されており、それでいながらお釈迦様の教えにおける重要で本質的な要素が全て詰まっていると言われています。
般若心経はどんな意味?わかりやすく解説
般若心経を全文ご紹介する前に、般若心経のそれぞれの構成とその意味をご紹介します。
般若心経は4つのパートに分けて説明されることが多いです。
- 観音菩薩様が悟りを得る修行を行い、この世の五蘊(ごうん:色(しき)受(じゅ)想(そう)行(ぎょう)識(しき)の五つ)には実体がないと悟り、苦しみから解放さえる方法を見つける
- 観音菩薩様が弟子である舎利子(シャーリプトラ)に「この世のすべてのものには実体がない、実体がなければあらゆる形を得ることができる、生まれることも消えることも汚れることもなく、清らかでもなく、増え減りもしない」という「空」の思想を語る
- さらに観音菩薩様が「空」について「真実の世界では何も存在しない、どんな実体もないからこそ苦しみもない、悩みが尽きなくてもすべてを手放して涅槃(ニルヴァーナ)へと至ることができる」と舎利子(シャーリプトラ)に語る
- 悟りの境地に至るための真言(マントラ)という何にも替えることができない般若心経の真髄を唱える
般若心経は観音菩薩様が真理に辿り着き、悟りを開き「空」の思想を得て、涅槃(ニルヴァーナ)へと至る物語なのです。
般若心経の全文と読み
般若心経の全文と読みがなを掲載します。
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄
舎利子 色不異空 空不異色
色即是空 空即是色受想行識 亦復如是
舎利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中
無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界
無無明亦無無明尽乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得
以無所得故 菩提薩埵
依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切 顛倒夢想
究竟涅槃 三世諸仏
依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚
故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶 般若心経
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般若心経の全文、現代語訳
般若心経の全文、現代語訳に関しては、私がここでどんな言葉を述べるよりも、中村・紀野の「般若心経・金剛般若経」があります。これ以上のものはありません。ここにその訳を引用します。
全知者である覚った人に礼したてまつる。
求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。
シャーリプトラよ、
この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
(このようにして、)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。
これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。
シャーリプトラよ、
この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。
生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。
それゆえに、シャーリプトラよ、
実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、識別もない。眼もなく、耳もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。
(さとりもなければ、)迷いもなく、(さとりがなくなることもなければ、)迷いがなくなることもない。こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。それ故に、得るということがないから、諸の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平和に入っているのである。
過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、智慧の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめを覚り得られた。
それゆえに人は知るべきである。智慧の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。)
ここに、智慧の完成の心を終る。引用:般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)
中村 元 (著), 紀野 一義 (著)
こお言葉の中には大乗仏教の全てが詰まっています。この世界にあるものの無常さ、真理、真言の尊さ…この身が救われることよりも衆生を救うこと、自分の救済は仏に任せるという菩薩の心があるのです。
般若心経のサンスクリット語原本
現存する最古のサンスクリット本(梵本)は東京国立博物館所蔵(法隆寺献納宝物)の貝葉本(東京国立博物館によれば後グプタ時代・7~8世紀の写本)です。
第一葉(上)から第二葉(下)の1行目までに般若心経が書写されていると言われています。
また般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)より般若心経のサンスクリット語原本を引用します。
Namas Sarvajñāya.
āryāvalokiteśvaro bodhisattvo gaṃbhīrāyāṃ prajñāpāramitāyāṃ caryāṃ caramāṇo vyavalokayati sma:pañca skandhās, tāṃś ca svabhāvaśūnyān paśyati sma.
iha Śāriputra rūpaṃ śūnyatā, śūnyataiva rūpam. rūpān na pṛthak śūnyatā, śūnyatāyā na pṛthak rūpaṃ. yad rūpaṃ sā śūnyatā,yā śūnyatā tad rūpam. evam eva vedanāsaṃjñāsaṃskāravijñānāni.
iha Śāriputra sarvadharmāḥ śūnyatālakṣaṇā anutpannā aniruddhā amalāvimalā nonā na paripūrṇāḥ. tasmāc chāriputra śūnyatāyāṃ na rūpaṃ na vedanā na saṃjñā na saṃskārā na vijñānaṃ. na cakṣuḥśrotraghrāṇajihvākāyamanāṃsi,na rūpaśabdagandharasaspraṣṭavyadharmāḥ,na cakṣurdhātur yāvan na manovijñānadhātuḥ.
na vidyā nāvidyā na vidyākṣayo nāvidyākṣayo yāvan na jarāmaraṇaṃ na jarāmaraṇakṣayo na duḥkhasamudayanirodha-mārgā,na jñānaṃ na prāptiḥ.
tasmād aprāptitvād bodhisattvānāṃ prajñāpāramitāṃ āśritya viharaty acittā varaṇaḥ. cittāvaraṇanāstitvād atrasto viparyāsātikrānto niṣṭhanirvāṇaḥ. tryadhvavyavasthitāḥ sarvabuddhāḥ prajñāpāramitām āśrityānuttarāṃ saṃyaksambodhiṃ abhisambuddhāḥ.
tasmāj jñātavyaṃ prajñāpāramitāmahāmantro mahāvidyāmantro ‘nuttaramantro ‘samasamamantraḥ, sarvaduḥkhapraśamanaḥ. satyam amithyatvāt prajñāpāramitāyām ukto mantraḥ,tad yathā:gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā.
iti Prajñāpāramitāhṛdayaṃ samāptam.
引用:般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)
中村 元 (著), 紀野 一義 (著)
般若心経を唱えるとどうなる?
般若心経は納棺前の枕経、通夜、火葬場などでよく読経されています。唱えることで死者を弔い、供養したりする意味があります。
般若心経の終盤に唱える「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」という悟りに至る真言(マントラ)は、基本的には解釈はありません。
しかし中村元・紀野一義による訳注『般若心経・金剛般若経』では「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ」と翻訳されています。
般若心経は短いお経ではありますが、その中には大乗仏教の神髄が含まれているのです。
般若心経は何に効く?般若心経は唱えてはいけない?
般若心経は「すべての物事は不変の実体を持っていない、そのため物事をありのままに受け止めて真理を見極めることで執着を離れ悩みや苦しみから解放される」という大乗仏教の真髄が込められています。
さまざまな宗派で読経され、葬儀や法要でもよく聞くお経でしょう。
般若心経は大乗(衆生(しゅじょう・命あるものすべて)を救済する)仏教の真髄
大乗仏教とは衆生(しゅじょう・命あるものすべて)を救済する仏教という意味です。
大乗の乗は乗るという意味で、大きな乗り物にすべての命が乗るように、どんな人でも信仰があれば救われるという意味を持っています。
自分より先に衆生を救済すること、そのため観音菩薩様は悟りを開き仏陀の境地に達してからも、何度でも衆生を救うためにこの世に生れ落ちてくださいます。
般若心経はなぜ葬儀、法要で読経されるのか
般若心経が納棺前の枕経、通夜、火葬場などでよく読経されるのも、この大乗仏教の真髄である「すべての衆生を救う」という考えからきています。この世界のものは何一つとして不変ではない、だからこそ悩みや苦しみをそのまま受け止めて、執着を手放して涅槃に行こう、悟りの境地に至るための真言(マントラ)を唱えよう、ということなのです。
般若心経は唱えてはいけない?
「般若心経は唱えてはいけない?」「般若心経はやばい?」と聞かれる方が一定数います。
般若心経は色々な宗派で読まれていますが、浄土真宗と日蓮宗では読むことがありません。それは宗教の考え方によるもので、「やばいから唱えない」というものではないのです。
このことについては次の項目で詳しく解説します。
般若心経が読まれる宗派と読ない宗派
般若心経は色々な宗派で読まれており、般若心経を読む主な宗派は下記のとおりです。
- 真言宗
- 天台宗
- 曹洞宗
- 日蓮宗
- 浄土宗
反対に般若心経を読まない宗派は下記になります。
- 浄土真宗
- 日蓮宗
浄土真宗で般若心経が読まれない理由は、浄土真宗が阿弥陀仏の本願により往生する、阿弥陀様の導きによって悟りの世界に行くことが出来る、という教えのためです。般若心経は自分で悟りをhらかなくてはなりません。そのため般若心経は、浄土真宗の教えに反しているということになります。
また、日蓮宗では「南無妙法蓮華経」という題目に表されるように、「妙法蓮華経」にのみ心身を委ね悟りを開くという教えなので、般若心経は読みません。
コメント 成功の口コミや疑問…読んでね!
般若心経は間違えると霊が寄ってきてしまうと聞きました。
修行している方が霊を呼ぶために間違えて読むなどしていると聞きました。
怖くて読めないのですが大丈夫なのでしょうか?
お名前が本名っぽいので変更させていただきました。
ごめんなさい!
般若心経に関してですが、般若心経を唱えると霊が寄ってくると言うことは絶対にあり得ません。
間違えると霊が寄る、と言うこともありません。
般若心経は観音様が修行の末に悟りを開き、「空」の思想を得て、涅槃(ニルヴァーナ)へと至る物語なのです。
そのため、般若心経の最後は悟りの境地に至るための真言(マントラ)を唱えています。
その中に霊を呼び寄せるようなものは一つもないのです。この世のどんなものも変化しないものはない、全ては「空」、だからこそ迷いがなく恐れもなく永遠の安寧を得られるのだと唱えられています。
般若心経に恐れがあるのに気になってしまうのは、きっと迷いや不安があるからではないかと思います。
ここで悩んだり恐れたりするくらいなら、お寺に行って写経や護摩行を見学されてはいかがでしょう。
護摩木に書くとお金が必要になりますが、護摩行を聞くだけなら無料で解放していることがほとんどです。
観音経の御縁日は18日に行うことが多いので、真言系のお寺に聞いてみてくださいね。
般若心経は大乗仏教の真髄と言われています。大乗仏教は全ての人を救う仏教です。学んでみるといいことがたくさんあると思いますよ。
願いが叶いますように!