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三種の神器と即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)

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三種の神器と即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)

2019年10月22日に行われた即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)…雨模様だった皇居の上に日が差して虹が現れるというミラクルがすごかったですね!!
きっとこういうことが口伝で伝わり、伝説になっていくんでしょうね…。
私もこのことを伝えて行きたくなって、三種の神器や即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)について調べてしまいました。

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三種の神器(さんしゅのじんぎ、さんしゅのしんき、みくさのかむだから)

三種の神器の読み方

三種の神器はさんしゅのじんぎ、さんしゅのしんき、みくさのかむだからと読みます。

三種の神器とは何か

天皇陛下が即位されるときに、この三種の神器である八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ、草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも)の形代(レプリカ)を皇室の正統たる帝の証しとして、皇位継承と同時に継承します。

八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は本物じゃないの?形代ってなに?

八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は式典などでも本物は使われません。形代と呼ばれるレプリカが飾られています。この形代も神体であり何人たりともみることはできません。
『古語拾遺』によると、崇神天皇の時に鏡と剣は宮中から出され、外で祭られることになったため、形代が作られたとなっています。

どうして形代が作られたの?

天照大神との約束により、初代天皇の神武天皇から崇神天皇までは本物の三種の神器と同じ床で寝食を共にすることになっていました。これを「同床共殿」と言います。
この天照大神との約束を破ってまで、三種の神器を宮中から移したのは、鏡や剣の力を恐れ、災厄を呼んでいるのではないかと考えたためです。崇神天皇が即位した時代は、疫病流行り多くの死者が出て、反乱も起きていました。崇神天皇は祈りを捧げて平和になるように願ったのですが、鏡の力がこの厄災を呼んでいると占いに出て大和・笠縫村に鏡を移しました。

三種の神器はなぜ、継承した天皇陛下もみることができないの?

三種の神器をなぜみることができないのか…そのことについてたくさんの研究がなされています。しかし「なぜ誰もみることができないのか」という問題に明確に答えを出したものはありません。

現在提唱されている答え

  • 人=俗世のものがみることそのものが穢れであり、聖なる神器を汚す行為である
  • 見る=存在を知られることによって神性が失われる

といった説が有力です。他には「ヘブライ語が書かれていて、これまでの宗教観を覆すような秘密が書かれている」とか「実在しない」といった説もあります。

三種の神器はぞれぞれどこにあるの?

  • 天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は熱田神宮に安置
  • 天叢雲剣の形代は八尺瓊勾玉とともに皇居・吹上御所の「剣璽の間」に安置
  • 八咫鏡(やたのかがみ)は伊勢の神宮の皇大神宮に安置
  • 八咫鏡の形代は宮中三殿の賢所に神体として奉斎
  • 八尺瓊勾玉は天叢雲剣の形代とともに皇居・吹上御所の「剣璽の間」に安置

<h2>三種の神器の神話、古事記での記載</h2>
日本神話では天孫降臨の際に天照大神(あまてらすおおみかみ)が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣を授けたとなっています。日本書紀でも天照大神から三種の神器をもらったと記されています。

三種の神器、八咫鏡(やたのかがみ)

八咫鏡(やたのかがみ)は三種の神器の一つです。天照大神が宿ると言われ、三種の神器の中でもっとも重要なものと言われています。

天の岩戸の伝説

神々が住まわれる高天原で、一番位の高い神様は天照大神さま。天照大神さまは機織りがお好き、その日も機織り所に籠もられていました。そこにいたずら好きの弟神、須佐之男命がこっそりやってきました。須佐之男命は姉神様を驚かせようと、馬を機織り部屋に投げ入れたのです。
天照大神様は驚いたのなんの、そして怒りのあまりに天の岩戸に御隠れになりました。
天照大神様は太陽の神様、彼女が隠れるのは太陽が隠れると同じこと。途端に世の中は真っ暗になり、他の神々は暗闇に戸惑うばかり。
困りはてた神さまたちは、天安の河原に集まり相談をしました。そこで思兼神という賢い神さまが一計を案じられたのです。そして天津麻羅(あまつまら)と伊斯許理度売命(いしこりどめののみこと)が川上の堅石(かたしは)を金敷にして、金山の鉄を用いて八咫鏡(やたのかがみ)を作りました。八咫鏡(やたのかがみ)は天照大神様の姿をかたどったものでした。
準備ができると、まずニワトリを一羽鳴かせました。そして天宇受売命8あめのうずめのみこと)という踊りのうまい神さまが、服を脱いで桶の上で拍子をとりながら踊りだしました。他の神さまたちは手をたたいたり、笑ったり、しまいには歌をうたって大騒ぎを始めたのです。
岩戸の外が余りににぎやかなので、天照大神さまは思わず岩戸を少し開いてみました。すると、前には自分と同じ姿をした鏡がキラキラと輝いています。鏡の周りには綺麗な勾玉(八尺瓊勾玉)も飾っら得ており、思わず見とれてしまう天照大神様。
その時、力の強い天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が力いっぱい岩戸を開きました。
天の岩戸が開き、天照大神様がお姿を表した途端、世界には光が溢れ、太陽が輝き始めたのです。

天の岩戸が閉じて、天照大神が隠れて太陽が見えなくなったことがきっかけで作られたのが八咫鏡

日本神話には、天照大御神の岩戸隠れの際に天津麻羅と伊斯許理度売命が作ったとされ、『日本書紀』には天照大神を象って作られたことが記載されています。

八咫鏡は、天照大神そのものであり、まさに御神体なのです。

天照大神自身でもある八咫鏡…なぜ形代が作られて宮中から移されたの?

天照大神そのものをかたどった御神体…強力なパワーは守護もしてくれますが、同時に有り余る力が魔を引き寄せることもるとも考えることができます。崇神天皇の時代、疫病や争乱が頻発しました。それらを八咫鏡が引き寄せたのではないか、と考えられて、同床共殿が破られて、最初は笠縫、それから伊勢に移されました。

移されるときに形代が作られ、それは宮中に置かれることになったのです。

三種の神器、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も天の岩戸に天照大神が御隠れになったときに作られました。
天照大神をかたどった八咫鏡を装飾する勾玉として作られたのです。
作ったのは玉祖命(たまのおやのみこと)で、八咫鏡と一緒に榊の木にかけられ、天照大神の興味をひいたと言われています。

勾玉(まがたま)の意味、勾玉のパワーと効果、身につけると何が起きるの?【三種の神器のひとつ】
神社でお守りを買ったら、パワーストーンがついていた…普通の丸い形ではなくちょっと曲がった不思議な形をしたパワーストーン…それが私と勾玉の出会いでした。 三種の神...

三種の神器、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ、草薙剣(くさなぎのつるぎ))

天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は別名草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれています。三種の神器の一つで、現在は熱田神宮に御神体として安置されています。
天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は天の岩戸事件の時に作られず、須佐之男命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した時に八岐大蛇の尻尾から出てきたのがこの劔です。

やまたのおろちと草薙剣

ある時、須佐之男命が出雲の国の肥の川を通りかかると、年老いた両親とその娘が抱き合っておいおいと泣いていました。
娘の名は櫛名田比売(クシナダヒメ)。輝く黒髪と白い肌のたいそう美しい姫でした。両親はは大山津見神(おおやまつみのかみ)の子で、足名椎(あしなづち)、手名椎(てなづち)といいました。三人の話を聞くと、もう何年も前から八岐大蛇という怪物が住み着き、毎年一人づつ娘を食べてしまうようになったというのです。八岐大蛇は一つの胴体に8つの頭、8つの尾を持ち、目はホオズキのように真っ赤、体にはコケやヒノキ、スギが生え、8つの谷と8つの丘にまたがるほど大きく、腹は血でただれている怪物です。
櫛名田比売の上の姉たちも皆食べられて、とうとう残るは末娘の櫛名田比売だけ。そして、今年も八岐大蛇が出る時期になったというのです。
櫛名田比売と足名椎、手名椎は最後の別れを悲しんで抱き合って泣いていたのでした。
話を聞いた須佐之男命は櫛名田比売を嫁にもらう代わりに八岐大蛇を退治することにしました。
まず、櫛名田比売の家の周りに柵をたて、八つの入り口をつけました。そして強い酒がいっぱい入った瓶を八つ用意して、それぞれの入り口におきました。
日が暮れて、闇が深くなってくると、八岐大蛇が現れました。
八岐大蛇は八つの首を、それぞれの入り口に入れて、入り口にある酒の匂いに引き寄せられてぐびぐびと酒を飲み干し始め他のです。
須佐之男命は強い酒に酔っ払い始めた八岐大蛇にこっそりと近づいて、八つの首を次々と切り落としました。
八岐大蛇が絶命すると、その尾から天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)、草薙剣が出てきたのです。
この劔を、須佐之男命は姉神様の天照大神に献上し、平和になった肥の川で櫛名田比売と仲良く暮らしました。

即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)

即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)は、即位した天皇陛下が日本国の内外に即位を宣明する儀式です。
他の国でも戴冠式、即位式として行われるものと同様です。皇居宮殿・正殿松の間で執り行われます。

即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)の式次第

  1. 三権の長、皇族、天皇、皇后の順に正殿松の間に参入する。
  2. 天皇、皇后が高御座、御帳台に昇る。
  3. 参列者が鉦の合図により起立する。高御座、御帳台の帳が開けられる。
  4. 参列者が鼓の合図により敬礼する。
  5. 内閣総理大臣が高御座前に参進する。
  6. 天皇の「おことば」がある。
  7. 内閣総理大臣が寿詞[1]を述べる。
  8. 内閣総理大臣が即位を祝して万歳を三唱する。参列者が唱和する。
  9. 万歳三唱後、北の丸公園で自衛隊による21発の皇礼砲が撃たれる[2]。
  10. 内閣総理大臣が所定の位置に戻る。
  11. 参列者が鉦の合図により着席する。高御座、御帳台の帳が閉められる。
  12. 天皇、皇后が高御座、御帳台から降りる。
  13. 天皇、皇后、皇族、三権の長の順に退出する。

wikipediaより

 

平成の即位礼正殿の儀

平成2年(1990年)11月12日、皇居正殿において行われました。この時は天皇陛下は明仁さま、皇后陛下は美智子さまでした。

令和の即位礼正殿の儀

2019年(令和元年)10月22日午後1時より、皇居正殿において行われました。当日は台風19号の影響から雨儀となり中庭の装飾を行わない、職員の人数を減らす、参列者の席を移動するなどの措置が取られました。

即位礼正殿の儀では雨が急に止んで虹が!!

ここで即位礼正殿の儀で起こった数々のミラクル的なツイッターやらを集めます。
ちなみに天叢雲剣が雨を呼ぶ、八咫鏡(天照大神=太陽神)が太陽を呼んで虹をって感じなのでしょうか…。
「天叢雲剣が雨を呼ぶ」に関しては諸説あるようで、実際に雨を呼ぶ剣として奉られているわけではないようです。

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